こっちの世界にきてみなよ。きっと楽しいぜ
3羽のオウムがいました。
2羽は飼い主からたくさんのことを教えてもらいました。例えば、ニュートンの法則や数学の公式、ベートーベンの曲を歌うこともできました。
もう1羽は赤いオウムで、木にとまっていました。
オウムたちはこんな会話を始めました。
赤いオウムは2羽のオウムに「飛び方を知っているか」と尋ねました。
「いいや。本当の飛び方は知らないけど、それがどうしたと言うんだ。」
「ぼくらは何でも知ってるよ。」
赤いオウムは羽をはばたかせ
「君たちの知らないこと。それを君たちは知るべきだったんだ。それを知らないかぎり、ほかのことをいくら知っていても何の役にも立たないよ」
そう言って飛び立っていきました。
このお話はPot with the Hole 穴のあいた桶 という本に載っていたものです。
このお話を聞いてどう思いましたか?

私には2羽のオウム(知識のあるオウム)が現代の社会人で、赤いオウムがターザン(ジャングルの)に見えます。
2羽のオウムは知識を貯めることは正義で正しいと思っています。それは、情報社会を生きる私たち現代人と同じじゃないでしょうか。
でも、赤いオウムはオウムとして飛ぶことは当たり前でそんなことも知らないのならムダな知識なんて何の役にも立たないと思っている。
ターザンってサバイバル能力だったら現代人に圧倒的に勝てますよね。生命力のかたまり。人類はもともと頭を使うより肉体を使うほうが多かったと思うんですよ。自分たちで獲物を獲ったり家を建てたり。
オウムももともとは飛ぶのが当たり前だったんじゃないかな。でも知識を学んで飛べないのに飛べた気でいる。
なんか思い当たる節があるな。
赤いオウムはそれがダメって言ってるんだよな。
ダメって言うかそんなんでいいの?って感じかな
知識ばっか詰め込んでないで、こっちの世界にきてみなよ。
きっと楽しいぜ。
そう言ってるように聞こえる
オウムにとって知識と飛ぶこと。
どっちがだいじなんだろう?