【ファッションの歴史】明治時代から大正時代にかけて
明治時代から 大正時代にかけて大きく暮しが変化しました。
様々なことが変わった中で、今回は、服装の変化についてゆる~く考えていきます。
まずはサラッと時代背景を見てみよう
1867年 まさかの江戸時代が終わる
1868年 新政府が近代国家を目指した
1890年頃 戦争が始まった
1914年頃 第一次世界大戦によって好景気に
1918年頃 終戦によりすさまじい不況に
大正デモクラシー(民衆が強くなった)
↑わや簡素に絵を描いた
文明開化でどんどん洋風になってきた
明治の新政府は西欧の文化や思想を真似て近代国家を作り上げようとしました。
ここら辺から電信・郵便・鉄道・海外航路も登場するのです。また、銀座に西洋の街並み(二階建てのレンガ造の洋館)を建てていきます。そこに新聞社などが集まったそう。で、銀座は文明開化の象徴となった。お洒落です。シャレてます。オシャンティーです。
どんどん新しいものが生み出されて行って、ワクワクする半面、不自由なことや不慣れな場面が多々あって、不安に思うこともあったのかもしれない。。と一人で妄想しています。(楽しい)
江戸時代終わりにかけてのファッションについて
さあ、ここからが本題です!
江戸の終わり、どんな服を着ていたんでしょうか?
ずばり、男女ともに着物を着ていたでしょう
はい、まんまですね。
もうちょい詳しく掘っていきたいと思います。
まず、男性から。
- 長裃姿(ながかみしも)・・・武士(正装)
- 半裃姿(はんかみしも)・・・下流武士&町人(正装)
- 十徳姿(じっとく、じゅっとく)・・・儒者・医者・絵師・俳諧師など
- 紙子羽織姿(かみこばおり)・・・貧しい人から裕福な人まで
- 引廻し合羽姿(ひきまわしかっぱ)・・・旅人など
- 小袖姿(こそで)・・・普段着。男女関係なし
次に女性の方。
- 振袖姿(ふりそで)・・・晴れ着として町屋の娘が着用
- 被衣姿(かずき)・・・一般女性の外出着
- 小袖姿(こそで)・・・普段着。男女関係なし だす。
明治から大正にかけてのファッションについて
江戸時代は男女ともに着物が主流でしたが、明治時代に入り洋風のファッションを取り入れて、独自の文化を生み出しました。
新政府によって、ザンギリ頭(チョンマゲを切ること)が推奨される。=武士の時代が終わる←反発した士族(元武士)もいたみたい。服装の洋風化が最も早く進んだのは、軍隊や役人など。イメージしやすいのは、曇天に笑うかな。
↓映画『曇天に笑う』の主題歌を歌っているサカナクションの陽炎です
映画「曇天に笑う」曇天ダンス~D.D~ サカナクション/陽炎
明治初期辺りの服装は和服と洋服が混ざり合った様な感じのファッションでした。
この頃はまだ、一般の人(特に女性や田舎の人)はまだまだ着物が主流。
だが、都会を中心に洋服・シルクハット・こうもり傘など欧米スタイルの紳士淑女 が登場してきました。また、女学生が袴を着始めたのもこの頃。明治20年頃には和服にショールを羽織ることが流行しました。
大正時代のファッションについて
大正時代のファッションの大きな特徴は、モボ&モガが登場したことです。
モボ・モガとは、モダンボーイ・モダンガールの略で、最先端の洋服を身にまとい銀座に集った、わやお洒落なひと達のことです。
モボは、おかま帽子にオールバックの髪型、長いもみあげ、鼻の下のちょび髭姿。昔の文豪(福沢諭吉さんあたりの方)のイメージです。
モガは、ショートカットに赤い口紅。綺麗な模様のワンピース、スカートにハイヒールなどを身につけた。竹久夢二の絵のイメージです。
また、男性の洋装は増えたものの、女性はバスの車掌、タイピスト、電話交換手などの職業の人は洋装が多かったが、まだ和服が一般的だったそうです。
まとめ
明治から大正のファッションについて学んでいきました。
今から10~20年前はめっちゃ明るい髪の毛に細眉、したが見えそうなギリギリのスカート、わざわざ肌を黒くするって感じだったのが、今はナチュラルな感じになった。(あまり流行は知らんけど)
ファッションは時代によってずいぶん変わるもんだなーと思いました。